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島嶼看護

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自由集会(シンポジストを交えてのフリーディスカッション)

[参加者:シンポジストのエリス先生、ツダ先生、石垣先生をはじめ、学内から多数の教員と学生、並びに他校の教員が参加した。宮古島教室からは3人の看護師・大学院生がテレビ会議システムを通して参加した]

金城先生(司会):自由集会ということで、何らかのテーマを決めて自由に討論したいと思います。今日のシンポジウムを振り返るということで、キーワードは何であったかの確認をしたいと思います。今日のキーワードは何でしたか? [参加者からの回答:島嶼、看護、教育、高度実践、そして現状と課題]
宮古教室の学生が、遠隔講義システムを通して今日のシンポジウムに参加していたので、宮古の方からシンポジストに対して質問をお願いします。題材は高度な看護実践でいきましょう。1人は本学の4年次の学生、もう1人は県立宮古病院の看護師兼、本学の大学院生です。

[フライング・ドクターについて]
参加者:エリス先生にお聞きします。フライング・ドクターを利用した場合、費用はどこが負担するのですか?沖縄だとNPO、あるいは宮古では自衛隊が搬送してくれます。
金城先生:沖縄では北部医師会のヘリコプター、“メッシュ”で、募金の呼びかけを一生懸命しています。
エリス先生:オーストラリアの場合、資金源は2つあります。1つ目は政府の補助金から、2つ目は一般の市民の寄付です。寄付を募るために、ダンスパーティーなどのイベントを開催します。政府と市民がお金を出し合って、フライング・ドクターを支えています。

[健康教育について]
参加者:私が大学院の海外実習でテニアンに行った時、10代の出産が多いので、公衆衛生で10代を対象にした指導をしなければいけない、という話を聞きました。堕胎が許されない宗教であったり、子供を産んだ時に土地がもらえる習慣があったりして、性教育はなかなか難しいと聞きました。10代の性教育に関して、現在はどのような対策をとっているのですか?
神里先生:以前は高校に行って性教育をやっていたようですが、今はマンパワーが足りなくてできないそうです。性教育ができなくなってすぐに、10代の妊産婦が増えたようです。
野口学長:島では健康教育の効果が見えやすい。
神里先生:今は訪問看護のマンパワーもなくなってきました。テニアンの財政は、去年はさらに厳しかったようです。訪問指導に行く人がいないので、サービスが提供できません。去年、テニアン訪問時にロング先生から聞いたのですが、あちらの先住民は、結婚前に土地をもっていても、結婚したら1家族で1か所の土地しかもらえないようです。ですから、結婚したら損をするとの考えが染みついています。ロング先生のお話によると、8割は結婚していないようです。多くは14〜15歳で妊娠しますが、めったに結婚はしません。ですから、ウェディングがあったら、「いつ別れるのかしらね」と皆思うようです。
金城先生:これはテニアンだけですか?
エリス先生:オーストラリアでは、先住民の少女があまり早く妊娠しないように、興味深い方法が取られています。先住民たちは、子供が男女の営みによって生まれるとは思っていません。彼らは、女性が周りの環境から子供の精霊を吸い込むと信じています。その精霊はウシガエルやハチドリの精霊で、時が熟すと、その精霊が母体で子供へと成長します。ですから、先住民の文化では、男女の営みは妊娠とは関連付けられていません。先住民の少女たちにあまり若いうちに妊娠させないために、直接妊娠の説明はせずに、性感染症についての話をします。

[感染管理と指導者の育成について]
参加者:私は宮古病院の感染管理認定看護師です。私は宮古島の出身ではなく、沖縄本島の北谷町の出身で、宮古病院勤務は2年目になります。今日のシンポジウムで話された、島嶼地域の看護職リーダー育成について、自分のことのように聞いていました。宮古病院で次の感染管理指導者を育てるのが、私の役割だと思っています。現在、一緒に活動している仲間からそのような指導者を出せればいいと思っていますが、県立病院の看護職者には転勤などもあり、短いスパンの中で、お金のかかる仕事を、どれだけの人に教えていったらいいのかというのが大きな課題です。何かいい案がありましたら教えて下さい。
金城先生:とてもいい質問だと思います。リーダーが次のリーダーを育てるところにヒントがあると思います。
学長:認定看護師の資格を取ろうと思ったら、東京または本土の学校へ行かなくてはいけません。ですから、お金がかかるという問題がありますね。
金城先生:彼女はまず、認定看護師になりたいという人を育てなくてはいけない−。
学長:お金がかからないようにするには、沖縄県立看護大学で認定看護師のコースを開くしかありません。しかし、県にお金がなくて開けないのです。
金城先生:あなたが今一番悩んでいるのは、認定看護師を取得するための機会がないということですか?それとも、機会はあるけれど、ものすごくお金がかかるから難しいということですか?あるいは、感染看護の認定看護師になりたいという人をなかなか見つけられないということですか?あなたがいなくなっても、その後感染看護をやってくれる人を、あなた自身が求めていますか?
参加者:そうです。加えて、現実に認定看護師になった自分自身のレベルアップというのも必要です。やはり県外の研修に出て行って新しいことを聞きに行く努力も必要です。宮古島教室のように、遠く離れていても教育が受けられるようなシステムができればいいと思っています。
金城先生:なるほど、錆び付かないためのシステムですね。
参加者:そうです。
ツダ先生:まずリーダーになるには、後に付いてきてくれる人が必要ですよね?ですから、あなたに付いてくる人をつくるにはどうしたらいいのかを考えることだと思います。この質問に答を期待しているのではなく、彼女に考えていただきたいのです。
学長:クリティカルシンキング。
ツダ先生:そうです。
金城先生:あなたが認定看護師になろうと思ったときのことを、少し思い出すといいかもしれない。
ツダ先生:そういうことを考えていただきたいなと思います。
参加者:考えてみます。ありがとうございます。
ツダ先生:これは彼女だけに投げかけた問いではなくて、宮古島教室の3人にぜひ考えていただきたいと思います。
エリス先生:私が1つの答を紹介しましょう。どうすれば誰かを次の指導者にできるかということです。島嶼看護師にとって一番の方法は、「病気になること」です。あなたが病気になった時に備えて、チームの皆が指導者の役割を担えるように準備をさせておかなければいけません。自分がその場にいない時に、誰かが指導者の役割を担えるようにしえおくのも指導者の責任です。今のうちにその準備をしておきましょう。
参加者:日々そのように、1人で何もかも背負わないように、いろいろ考えながらやっています。お金の問題が大きいので、その辺りを質問しました。
神里先生:認定看護師資格審査に行くためのお金のことですか?
学長:感染看護を実施するため、あるいは感染看護の認定看護師の資格を取るためのお金のことですか?資格を取ることが大事なのか、あるいは資格を取らなくてもそれに相当する仕事をすることが大事なのですか?
金城先生:リーダーの責任は、その次のリーダーを育成すること。ただその次のリーダーが感染看護の仕事をやりたいかどうかを見極めながら、という話が今出ています。そうすれば資格を取りに行くためのお金は、もしかしたら何かのかたちで解決できるかもしれない。
学長:感染看護をやるために相当お金がかかるのですか?病院で感染看護をやるときに、病院にお金がなくてある材料が買えないとか?
参加者:感染看護にはやはりコストがかかります。
ツダ先生:感染看護をするためのお金のことですか?それとも病院の安全管理の経費ということですか?物品を買うというようなことは、病院全体のリスクマネジメントになってくると思うので、そこにお金をかけるつもりが病院にはないということですか?
参加者:認定課程に学校に行くのに300万円ぐらい用意しました。研修期間中は収入がないので、その間の支出に300万円使いました。認定看護師の資格を持っていた人のほうが専門職として感染看護ができると思います。ですから、次の後輩、後進育成には、やはり認定看護師になりたい人を見つけるのがいいのかなと思っています。認定看護師の資格の有無ではなく、各部署から出てくる感染管理委員会ナースは感染防止上の仕事はやっていたので、できないことはないのです。ただ、病院全体の感染管理は専門的な知識が必要ですので、勉強してきた人がいいと思います。
金城先生:現場にいる認定看護師が、患者の感染が少なくできるプロセスの根拠を、病院の経営陣に届けるという努力は行われていますか?データで示して、現場の感染管理が変わるという経験はお持ちですか?
参加者:少しずつやっています。
金城先生:それはもしかして、島嶼にある宮古病院だからやっていることですか?
参加者:私はどこに行ってもやろうと思っています。コストに関して、お金がかかるとか、物品を安く買うなどというところに注目しがちですが、実際感染管理をしていて、感染症を起こす患者さんを減らしていくこと自体が費用対効果に結び付くと感じています。患者さんの数も、入院日数も減らせますので、病院にとって費用対効果の改善になると思っています。
学長:効果は経済的な効果以外にもあります。病院における効果というのは、患者様が健康になることや、市民がみんな、宮古病院を自分たちの病院だと認識することです。

[トータリティーについて]
金城先生:石垣先生のトータリティについて、はっきり把握できてない方はいませんか?私自身がトータリティとは何だろうと思いました。石垣先生が今日おっしゃろうとしていたトータリティに関して、私はこういう感じを持ちましたとか、そこから始めたいと思います。トータリティを皆さんはどのくらいイメージできました?
学長:日本語で表現できたらいいと思いました。
石垣先生:うまく当てはまる日本語は見つかりませんでした。
金城先生:都市部ではトータリティは前面に出なくても済むのでしょうか?島嶼環境ではトータリティは前面に出やすいのですか?
石垣先生:出やすいですね。細かいところですが、入院患者が家に帰ったら全く違った側面を持つことがあります。保健師が家庭訪問したときだけ見せる顔、といった全く違った面があります。そういうものを全部、人間をトータルに見て把握できないと、本当にその人の役に立つものは見えてこないと思います。島嶼ではそのような面が見えやすいということです。
学長:ホリスティックというときは、どちらかというと個人のアプローチ、競争を言いますが、看護活動になるとソーシャリティですね。
神里先生:コミュニティが入るとソーシャリティだと。
学長:基本的にはそうですが、コミュニティに入っても、やはりベーシックの共通基盤というか、文化の共通理解がなければ、トータリティは保障できません。専門分化しているものをオーバーラップしたり、専門領域を超えてチャレンジしたりということがなければ、トータリティは実現できません。「これは医師の役割、これはこの人の役割だから、私はしてはいけない」と言ったら、トータリティは実現できない。人が少ない環境ならそれが実現できる、ということになります。
金城先生:専門家も生活の場にいる場合がよくあり、連携せざるを得ない。そして1人で何役も担わなければならない。都市部ではそれが、誰かの専門性に投げられる。専門性に投げたけれども、トータリティは保障されない。
学長:都市部ではできない部分がある。専門分野の他の人に渡したら、その活動はトータリティではない。穴のない、抜け目のない看護をしているかどうかです。今の話は看護活動の立場から言えばトータリティですが、ホリスティックは個人の患者にとっても精神的なもの、スピリチュアルなもの、社会的な面、文化的な面、全部です。
ツダ先生:高度な実践ということで、トータルに実践できる人、それは連携することによってトータリティを達成しようというお話ですか?それとも1人の実践者が、もっとトータルにいろんなことができるようになったほうがいいというお話ですか?
石垣先生:一人一人でもトータルですし、その人にとってトータルであればいいということで、両面です。ですから、人を援助する人は誰もがトータルです。
ツダ先生:専門化するのがよくないことのようにも聞こえます。専門分野に特化していくことがマイナスのように聞こえてくるのですが、そういうことですか?
学長:一般的に「高度化」と言ったときは、専門分化というのが現代の社会の通性ですが、島嶼看護について言えば、トータリティこそ高度化を保障することです。アンチテーゼとして、島での高度化と言ったらトータリティの保障だろうというお話です。
ツダ先生:専門分化を否定するものではないですね?
学長:否定するものではありません。
金城先生:専門分化も高度化ですが、まとめ上げていこうというトータリティも看護分野の高度化。
学長:島嶼看護で高度と言ったときは、トータリティではないかという仮説です。
エリス先生:我々はトータリティという言葉自体はあまり使いませんが、とてもいいアカデミックなコンセプトだと思います。今の説明でその意味がよく分かります。例えば、専門的な人がいる中でも、島という環境の中では(それにコーディネーションとかネットワーキングとかいろいろ表現はあるでしょうけれども)トータリティが必要となる。そういうコンセプトはよく分かるし、とてもよい言葉だと思います。コンセプトだけの話ではなく、そこにはそれを支えるベースとなるリサーチがあるのでとても分かりやすい。
参加者:島にいると、いろいろな人たちと関わりをもって協力しないと、仕事がうまくいきません。そういう意味では高度だと思っています。
金城先生:仕事をするために、いろいろな人とうまくやっていくためには、いろいろなことを理解しなくてはいけない。それをトータリティと言う。
石垣先生:英語のトータリティを日本語でも表現できたらいいのですが、なかなかいい表現が出てこないのです。
学長:地域文化に根ざした看護についての話がトータリティ。専門分化に対してトータリティという言葉を使う。
参加者:自分が必要なときには協力してもらうという、そういう関わりをあちこちでつくっていくのです。
学長:トータリティとチーム医療とは同じではありません。チームは専門分化があってのチームですから。
ツダ先生とエリス先生:このトータリティという言葉をとても新しいコンセプトであると受け止めました。次に、そのコンセプトをどういうかたちで検証するかということがあります。例えば、日本のこの1つの島のことだけではなく、世界の各地のどこかで実践された時には、どういうかたちで検証され、こういうものがトータリティである、こういうことができるからトータリティである、という部分に私たちは関心があります。トータリティをこれからのテーマとして膨らませていくには、どういうかたちで検証するのかということです。
金城先生:その膨らませる場についてですが、文化看護と地域看護、どの辺りで今のトータリティの概念を学問化していくことを想定されていますか?
学長:文化と地域の要素がなかったら、ルーラル看護はできません。ルーラルナーシングというのは、非常にベーシックな要素の部分と、具体的な活動の部分です。地域看護とか文化看護は要素です。ファンダメンタルな要素ですね。でも、ルーラルというのは実践の場です。

[シンポジストによる総括・提案]
石垣先生:沖縄では島嶼看護学をつくろうとしていらっしゃるわけですよね?実践を裏打ちする理論をつくっていこうとされているわけですから、こらからかたちは明確になってくると思います。私も何か一助になれればということで、ほんのささやかな研究でしたけれども、本日シンポジストとして参加させていただきました。
テニアンの実践の中にも同じものがあると思いながら聞いていました。おそらくアボリジニの人たちについてもあるでしょうし、ツダ先生のお話の中にもあると思います。そういう視点でやっていけば、もっとジェネラルなものが出てくるのではないかと思います。そこに島嶼とか、ルーラルナーシングの理論があるのではないかと思います。
ツダ先生:私自身にとっても非常に興味深いシンポジウムでした。私が皆さんにインスピレーションを与えることができたというよりも、私自身が多くのインスピレーションやひらめきを頂いて帰ることができます。今日のシンポジウムをきっかけに、また新しい質問が頭の中にたくさん浮かんできて、この答えを見つけるために、またいろいろなことを研究していかなければいけないと思っています。たくさんインスピレーションを与えてくださった皆さんに心から感謝申し上げます。
エリス先生:まずこのシンポジウムに関わってくださった全ての方々に感謝いたします。看護の分野で活躍しておられる皆様から、私自身がいろいろな刺激を受けました。新しい概念も学びました。これから私はこのコンセプトをどういうかたちで活かしていこうか、どういうかたちでこれをさらに深めていこうかということを考えていきたいと思っております。
皆様一人一人に、私は次の提案をしたいと思います。皆様は看護の分野で働いておられる、あるいは将来働かれることになると思います。そのときどうか「文化とは何か」ということを頭に入れて、しっかりその意味を考えていただきたいと思います。皆様が接する患者さん一人一人は、いろいろな文化の中で生きてきた方かもしれません。そしてその人たちに接するときに、「文化とはこういうものなのだ」とういうことを頭に入れて上で、「今日はこういうかたちでこの患者さんに接してみよう。明日は、文化とはこういうこともあるかもしれないので、ああいうかたちで接してみよう」と、いろいろなことを試してほしいと思います。いろいろな人と接するときに、私たちはその人たちのことをしっかり理解すること、文化も含めたことをしっかりと理解することが、いかに重要かということを学び、そしてそれを実践に活かしていただきたいと思います。これを私の締めくくりのご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

 

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